ぽっぽの思い

10月29日 お別れの日

10月29日
今日でぽっぽのフィールドである新川わくわくプレーパークの平日開放が終了。
とっても大きな存在だった、リーダーの2人とお別れ。

全然お別れって感じはしないけど(^^;)
いなくなってから「さみしいな」と思うんだろうな。

今日はハロウィンの仮装に、お菓子をもらう遊び、キャンプファイヤー、ダンス、カレーライス作り、かぼちゃパイ、写真撮影、などなど。
盛りだくさんで、やっぱりとっても楽しい一日でした。

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火をおこして、かまどで調理をしたり、火を囲んでごはんを食べたり、少々清潔ではないし(少々じゃないか…)、スマートでもないし、きれいな服は着れないし、煙くさいし、爪の中は泥で汚れてるし、洗濯物も靴もドロドロで洗うのが大変だし、車も汚くなるし、時々お店とかで私が通った後に土が落ちてるし(汗)、家のなかも片付ける暇なくてぐちゃぐちゃだけど、とても生きてるって気がする。
私は今、生きてる。
毎日が楽しくてしょうがない。
ビバ!自主保育!

そこにあるものとは…
「自由」自分たちで決める、ということ。
それは「(保育の)専門家」に任せる、人と同じ道を選ぶ、といった安心感を手放し、「自分たちで子どもの育ちに責任を持つ」という責任を負うことで得た自由。
大変な部分もある反面、私たち母親が、成長させてもらっています。

「仲間」全力でぶつかり合うことのできる仲間がいる。親も子も。
家族のような密なつながり。自分をさらけ出せる安心感。腹の探り合いをしないでいい関係。
「帰属感」人が一番求めているものは、結局はこれなのだと思います。
「私はここにいていい」「私はここで必要とされている」そう感じられる安心感。

「夢」妄想、とも言うが(笑)、「あれをしたいね」「これをしよう」、自分たちの手間さえかければ、なんだってできる!
「理想的な保育の形」かどうかはわからないけど、理想を目指していく自由がある、自分でそのプロセスを踏めるのが楽しい。

「原風景」いつでも戻って来られる場所、心のふるさと。
この新川沿いの、里山を望む風景が、子どもたちの原風景として心にも体にも刻み込まれることでしょう…
いっぱい散歩したね、虫もとったね、暑い日には水遊び、寒い日には火遊びをし、どろどろになるまで遊んだね、仲間がいてあったかかったね…

思い出すだけであたたかな思いに満たされる、そういう体験をたくさん持てたら、それはどんなものより大きな財産になると思います。

大人になって、苦しいときに支えになるのは、そんな思い出だったりするのではないでしょうか。

どんなに、勉強ができるとか、ピアノが上手とか、顔がきれいとか、英語ができるとか、技術や資質を持っていたとしても、それは木でいえば枝葉のこと。
持っているに越したことはないけれど、それよりもっともっと大事なのは心のねっこ(土台)、「私は私でいい、存在しているだけですばらしい」という自己肯定感なのだと思います。
それを育んであげたい。
自主保育で一番大事にしているのは、そこだと思っています。


わくわく日記に、ドリームがステキな記事を書いてくれました。

「財宝」それは、青い鳥と同じで、どこかここではない遠いところではなく、自分たちの中に眠っていました。
人を愛する力、圧倒的な怪物(現実)の前に立ち向かう勇気、やられてもまた立ち上がる粘り強さ、決してあきらめない心、支え合う仲間と、仲間を大切に思う気持ち、困難があっても前に進もうとする意欲、苦しさの中にも笑顔を失わないユーモアのセンス・・・

そういったものは、「誰かかが与えてくれる」のではない。
自ら冒険の旅に出る中で、一つ一つ、苦しみながら身につけて行くもの。
いえ、後から、RPGで武器をゲットしていくように、「追加」するものではなく、もっと「眠っている能力を開花させる」要素の方が大きいものだと思います。

子どもたちの心に、たくさんの財宝を埋め込んでおいてあげたい。
いつか、彼らが自分一人の力で旅立たなければならない日が来るから。
一緒にいられる今だからこそ、たくさんの冒険を、子どもたちとともにしたい。

その願いが、自主保育というカタチなのです。

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追記:3歳の息子は、この数日間、時々「ドリームとむぅみん、いないねぇ」とつぶやいています。

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ai

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ぽっぽの思い「人を愛する」

子どもとどう関わるかという事は
よく論議されるように思いますが、
子どもたちを取り巻く人間関係の
ことはあまり言われない気がします。
両親の仲、先生同士、職員同士の関係。
これが子どもたちに影響を与えない
わけがないのではと考えています。

・4年近く、自宅を開放して
子育て中のお母さんの集まりを開いていました。
週に一度の集まりでしたが
そこは、お母さん自身の心を語る場であり
たいへんな子育てを楽しくするものでした。
お母さん達がひとりぼっちで子育てしないために。
そう始まった集まりに
誰より私が救われる思いでした。

特にお楽しみも用意していないのに
子どもたちは毎週楽しみに来てくれました。
どうしてか、考えてみると
安心して遊べる場所だったからではと思います。
お母さん自身がリラックスして
お互いの悩みを話して聞きあう。
他の場所で、母としてうまく立ち振る舞えなくても
ここに仲間がいるから大丈夫だと思える。
お母さんがほっと出来る場所は
子どもたちにとっても安心できる場所になる。

その中で仲間の持つ力を信じることができました。
自主保育を考えることは自然な流れでした。

「どうしよう。」
「大丈夫、私がやっておくよ。」
「ありがとう。助かる。」
そんな言葉の飛び交う中で子どもたちは
安心して遊べるのではないでしょうか。
人を信じることができるのではないでしょうか。

・学生時代と違って
社会に出ると、同じ年の人と出会うことの方が
少なくなります。
社会には様々な年齢、立場の人達がいます。
ぽっぽは異年齢の保育です。
まめっこは、0才から上は就学前まで。
多様な人間関係は豊かさを生むと考えます。
年齢が上の子に憧れる。
下の子をお世話する。
時に小さい子が大きい子のお世話をしている。
電車に乗る、さんぼをする、ボランティアさんと遊ぶ。
様々な人との関わりがあります。

・子どもの頃、近所におじいちゃんがいました。
そのお孫さんの誕生日に呼ばれました。
「プレゼントは?」
とその子に聞かれて
「プレゼントって何?」
と聞くと
「いいなあって喜ぶものをあげることだよ。」と
その子は言いました。
私はその子の家に咲いていたお花があまりにも
きれいだったので、それを摘んでプレゼントしました。
その子には笑われ、おばあちゃんには怒られ
さんざんでしたが、おじいちゃんだけ
「ukoちゃんは、お花がきれいだから
プレゼントしてくれたんだね、ありがとう。」と
言ってくれました。
わかってもらえた嬉しさは覚えています。
「そう言えば、おばあちゃんが大事に育ててたって言ってたな。」
「あのお花は○○くんちのだもんな。」
ただ怒られただけだったら反発しか残らなかったかも
しれない思い出。
思いを受け取ってもらえて初めて
人を思いやることができた経験です。

・井戸端でも分かり合いたいから
とことん話しあいます。
思いを受け取り合いたいからです。
「みんな違ってみんないい」を
体現することは難しくても
思いを受け取り合うことはきっとできます。
それは、ぽっぽ母さん達がよく言う
「ぽっぽは気が楽〜。」につながります。

・自然の中で、人より大きな力の中で
子どもたちは助け合うことをします。
崖登りでは必ず手を差しのべあいます。
「室内よりケンカが少ないよねえ」
ぽっぽ母さん達の感想。
雨の日に友達の重い荷物を運んであげてたtuくん。
仲間という意識は
思いやるという心を自然と育むようです。

uko

追伸
ぽっぽ母さんを応援してくださり
ご理解いただいていますぽっぽ父さん方、おうちの方々。
本当にありがとうございます。
深く深く感謝します。
これからもどうぞよろしくお願いいたします

 

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ぽっぽの思い 「自分を愛する」

遊びは子どもたちにとって
研究であり
探求であり
実験であり
運動であり
表現であり
癒しであり
自学であり
生活そのものです。

子どもが遊ぶということは
自分自身で考え動いて
自分自身を生きているということです。

その時間、空間、仲間を保障したいなと願っています。
なかなか知恵のいるところで
ぽっぽ母さん達はあーでもない、こーでもないと
試行錯誤を楽しんでいます。

私が興味を持っている心理学者に、アブラハム・マズローがいます。
フロイトが病理を抱えた人を研究対象としたのに対し
彼は、社会的、情緒的に安定した自己実現型の人を研究対象としました。
そこで欲求の5段階説を導き出しました。
欲求には段階があって、ピラミット型の下層からの欲求
それが満たされてはじめて
次のステップに心が成長していけるというものです。
1,生理的欲求 
2,安全の欲求
3,帰属の欲求
4,自我の欲求
5,自己実現の欲求
生理的欲求は食べる、寝るなど生きることが保障されたいという欲求、
安全は住む家がある、危険がないなど安心したいという欲求。
これらが満たされないと、その欲求を満たすことで精一杯になり、
情緒が安定しないということです。
注目したのは、3段階の帰属の欲求です。
「自分はここにいたい、仲間が欲しい、
自分は受け入れられたい、認められたい、愛されたい」
この欲求が満たされると、1,2の欲求が例え満たされていなくても
人は満たされるというものです。
そして心が成長していけるというものです。

常日頃、子どもたちは満たされて大きくなって欲しいと願っています。
物質的に豊かで、好き放題出来ることとは違います。

「愛されていることを知って欲しい」
それは祈りでもあります。

こころのねっこは、
自分が愛されている、受け入れられている、それに値する存在だということを
子どもたちが実感して根ざしていくものと考えています。
これを実感して知っている人は強い。そう感じます。
自主保育をしていて、小学校に入ってとまどうのでは
という質問をよく受けます。
とまどっていいんじゃないでしょうか。
そう思います。
とまどって枝が折れても、葉っぱが散っても
でも、ねっこがあれば子どもたちはたくましく成長していける
その事が、その子自身をおびやかすものではないと
自主保育を決めた母さん達は、そう信じています。

森のお兄さん達も子どもたちを大好きでいてくれます。
子どもたち同士も「好き」と言い合っています。
喧嘩すれば「大嫌い」ともちろん言っております。
でも、やっぱり仲間です。
崖では助け合います。
当番の母さんが、自分の子のようにその子の成長を喜んでくれます。
考えてくれます。
これは、母さん、子どもも嬉しい。
くじけたとき、自分を包んでくれる手がたくさんあります。
たくさんの人が名前を呼んでくれます。
遊んでそれを見守ってくれる目があります。

かといって、母さん達は保育に自信があるわけではないのです。
ただ、子どもたちが愛しくてぽっぽが好きなだけなのです。

母さん達自身、井戸端会議では自分の思いを大切にするために
(自分を愛するために)本音を話し合おうと言っています。
「相手を否定せず受け入れて、本音を語ろう。」
と意識しています。

久しぶりに会った子と
「また、明日もぽっぽで遊ぼうね。」と約束しました。
「ぽっぽってどこ?」その子は聞き返しました。
園舎を持たないぽっぽ。
「ぽっぽはね、○○ちゃんと、○○くんと、○○ちゃんと・・・だよ。」
ぽっぽは、人のつながりの場でした。

「自分を愛する」とは、愛される体験からくるものです。

uko

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ぽっぽの思い 「自然を愛する」

ぽっぽの基本理念というものがあります。

「自然を愛する心
 自分を愛する心
 人を愛する心
 この心を親も子も育ち合っていく」
というものです。

「親も子も」というのがぽっぽの大きな特徴です。


幼稚園にいくべきか、どうするべきかお悩みのシーズンに
言い出しっぺとして、ひとつひとつの心についてお話を
させていただければと思います。

・自然を愛する心
ぽっぽは、基本的に野外活動です。
自然の中、街にも出かけます。
活動の中心場所はプレーパークや自然の中です。

いつの頃からか「子どもたちを土から離してはいけない。」
という持論を持つようになりました。
誰も言っていないのに、裸足になる子どもたち。
無心に虫を捕まえる子どもたち。
きれいな野の花を摘む子どもたち。
そんな子どもたちの様子を見ると
この世界に生まれた人間としての
本来の姿を見る思いでいます。

自然から受ける刺激はストレスレスとも聞きます。
(いや、山で遭難とかだったらたいへんでありますが。)
五感だけでなく、心身全てに人には与えられない
成長への刺激を与えてくれます。
情操教育のために自然に触れさせるのではなく
自然の中で子どもたちが育まれるということを
願っていました。

子どもの心は、向日性があると言います。
親の温かいまなざしに向かって心を開くのです。
ひまわりと同じです。
子どもも(もっと言うと人は)
やはり自然の一部なのです。
その中で十分に幼少時代を過ごして欲しいと
願っています。
就学前まで、感性が育まれる7才まで
たっぷりと浸かって欲しいのです。

その子に、どう考えたらいいかということは
ある程度、言葉で伝えることができます。
しかし、その子がどう感じるかということは
誰にも教えることができません。
その子自身です。
人の価値観は様々です。
その子が、どう感じるかということ、
これを対、人の価値観でなく
対、自然の中で育んで欲しいと願っています。

人の判断は、何かができるようになってすごいとか
どちらか正しい、良い悪い
何かと比べてどうだとかで判断されがちです。
しかし、自然は、夏が春より劣っているとか
バッタよりカエルの方が正しいとか、
そういう世界ではありません。

自然のその中で、自分は自分でいいのだという
安心感を持ってもらいたい。

自然という場はどんな気質の子どもたちも豊かに遊べます。

ぽっぽの朝のご挨拶。
「みんなに聞こえるように大きな声で言ってね。」とは
言いません。
「お空に届くように。」です。
「おはよう!!」
子どもたちの大きな声が大空に響いています。

子どもたちの体力の低下が言われて久しいですが
自然の中で遊ぶことは、子どもたちの多様な運動能力を引き出してくれます。
崖登り、木登り
でこぼこ道、魚取り
子どもたちは全身全霊を使います。
これからも様々な自然環境で子どもたちを遊ばせたいと
願っています。

また、ぽっぽは歩くことを大切にしています。

散歩は、少人数制なので
寄り道散歩です。
子どもたちの興味に足が向かいます。
四季折々の出会いや発見があります。

この前は、稲刈り後の落ち穂を拾って
生米をぽりぽりかじりながらの散歩でした。
(子どもたち、うまいって言ってました。)

基礎体力がつくことは
一生の財産です。

uko

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参加者の感想など

本日、5月7日(金)「地域新聞」京葉版に、自主保育「ぽっぽ」の記事が掲載されました☆

「幼児期は人生の根っこを作る大事な時期。
自然の中で育ち、太い根を生やして欲しい」

いい言葉ですね〜(^^)

参加者の中からも、とってもステキな感想をいただいているので、許可をもらって掲載します。

*〜*〜*〜*〜*

子どもたちも、自然の中でのびのびいきいき。
草の海も、凸凹山もワイワイ行き来する様子をみながら、自分自身の子どもの頃を思い出していました。

昭和の頃は、近所の空き地を自分の基地にして、毎日ドロドロになって遊んでいたのですが、今となっては、プレーパ−クは貴重ですね。

八千代にも、こんないい場所があったって、発見でした。

子どもたちを見守るお母さんの姿勢も、何か筋が通っていて、みんなの子どもをみんなで見ていく関わりは難しいけど、大切やなぁ、すごいなぁ、ここにはあるなぁ!と感じました。

もしかして私は、子どもそっちのけで楽しんじゃったのかも。
草の匂い、薪の燃える匂い、お兄ちゃんお姉ちゃんの声、から、何か感じてもらえたかな。

Kさんより

*〜*〜*〜*〜*

こちらは↓あさってのプレーパーク2周年記念のセレモニーに来場する、市長にあてて「ぽっぽ」のメンバーがお手紙を書いて託してくれました。
実家に帰省中で来れないので、わざわざ速達で私の家に送ってくれたのです。

思わず涙が出そうになるくらい、感動してしまったので、一部抜粋して紹介させてもらいます。

*〜*〜*〜*〜*

私たち親子は昨年秋にS県から八千代市に引っ越してきました。
知り合いが一人もいない中、育児サークル「ぽっぽ」に参加し、親子とも、友達を作ることができました。
子育てには悩みや苛立ちも多く、「ぽっぽ」の仲間は本当に支えとなっています。

数ある育児サークルの中で「ぽっぽ」を選んだ理由の一つに、自然を活かしたプレーパークで遊ぶことができる、ということがあります。

自然は開放的で、子どもたちは本当にのびのびと遊ぶことができます。
土に水を加えて泥を混ぜている姿はとても集中しており、何かの研究をしているかのようです。
花や緑の美しさ、土の香り、鳥の声、木の実の味、泥の感触…
子どもたちは自然の中で五感をフルに働かせ、様々な感覚を発達させていきます。

私の娘(3歳)は、手足が汚れるのをいやがったり、走り方が幼く、転ぶとすぐ泣く子でした。
プレーパークで仲間と遊ぶうちに、自分から泥に触れ、土山をよじ登り、でこぼこの野原を走って転んでも自分で立ち上がるようになってきています。
野の花で花束を作ったり、冠にしてかぶったりしているのですが、花がだんだんしおれてくるのを悲しみ、水にさすなど、大事にしようと思っているようです。
もんしろちょうをつかまえると、初めは逃がしたくないと言いますが、つかまえたままでは死んでしまうことを話すと、帰るまでには逃がしています。

体の感覚も命の大切さも、自然の中で体験し、学んでいます。
これらは、いくら言葉で教えても、体験を伴わないとイメージできません。
学校での学習の基礎にもなります。

これからも、自然との調和がとれ、子どもたちがのびのび育つ八千代市になるよう、よろしくお願いします。

*〜*〜*〜*〜*

子どものうちにこそ、たくさん失敗をするといいよ。
たくさんケンカもして、
泣いたり笑ったり、
友達と時間を分かち合い、
「まだ帰りたくない!」って泣いて、
どろどろになるまで遊び、
くたくたになって「限界!」ってところまで力一杯やってごらん。

そんなふうに、おおらかな気持ちで見守れるのが「ぽっぽ」のいいところ。
子どもだけでなく、お母さんも、自然はおおらかにしてくれるような気がします。

「『預け合い』は『助け合い』の保育でもあります。」(ぽっぽのチラシより)

ぽっぽをやって感じるのは、体力的には若干、大変な面もありますが(笑)、気持ちはと〜っても楽!というのが、私の感想です。

ai

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ぽっぽの思い

自然ということ

「自然の中で思いっきり子ども達を遊ばせたい。」

そんなお母さんの思いが『ぽっぽ』という形になりました。

「裸足で土の上にたつと脳にアルファー波がでる。」

「滝の側はマイナスイオンがでている。」

「森林浴っていいらしい。」

科学的に自然に身を置くことが人に良い影響を与えることが証明されてきています。

でもね、子ども達はとうに知ってる。

森や野原にぽんと身を置くと

子ども達は実に生き生きとした表情を見せてくれます。

晴れのきもちのいい天気の日に

チョウチョがひらひら舞うように遊び始めます。

初めは森を怖がる子も、裸足の芝生を嫌がる子も。

自然は人には与えられないおもちゃや、友達を与えてくれます。

よどんでもすぐに澄む川の水。

自在に形がかわるどろんこ。

ひとつとして同じ形のない木の棒。

風に飛ぶタンポポの綿毛。

カエル、バッタ、ちょうちょ、すぐに名前がわからないような虫、捨て猫。

自然の中で遊ぶということは

たくさんの命の中で、子ども達が育まれるということ。

ほんとは特別のことでなく、それこそ自然のこと。

今は大人が意識しないと子ども達がそこで遊べないほどに

「お外で遊ぶこと」

「子どもだけであそぶこと」が難しくなってきています。

その遊びの場を保証したい。

自然を大切に守る気持ち

その前に、

自然から守られて生きている不思議さ、感謝、驚き

畏れ、楽しさを子ども達と体感していきたい。

そう、願っています。

時間ということ

子どもにとって、遊ぶということは自分を生きているということ。

「これは何だろう」

「こうしてみよう、ああしたらどうなる」

「やってたらこうなった、よくわかった。じゃ、今度はこうしてみよう」

自分で考え、動く。そして遊び抜いたとき、子ども達は

「ボクはボクであること」「私は私であること」

そのことに、満足するのです。

そんな子ども達の主体的な心の中の活動を支えたいと願います。

そのためには十分な時間が必要です。

ぽっぽでは、カリキュラムを細かくたてるような大人の時間配分はありません。

子ども達の「やってみたい」、お母さん達の「やってみたい」が

活動の主役です。

自主保育ということ

聞き慣れない言葉、そんな保育があることはあまり知られていません。

子育ては大仕事。

大仕事なのに、結果が見えるわけでもなく

毎日が単純な繰り返しのような
気がしてきてしまう。

家事もあるし、私のしたい事もある。

お友達とたくさん遊んで、毎日楽しく過ごさせたい。

何か生きていくための力をつけて欲しい。

様々な願いもある。

自主保育は選択肢の一つ。

小学校までは、義務教育ではないので、幼稚園、保育園でなくてはいけない
ことではないのです。

目からうろこ。

そこで、ある時間、

専門家に預けるという選択。

そして、仲間と分かち合うという選択。

自主保育は後者です。

見守るということ

自主保育では、お母さん達(保護者)が見守る、支持するというスタンスです。

でも、こうしなければならないという決まりなんてありません。

子どもにも個性があるように、お母さんにも個性があるのですもの。

それを無視した子育て論は、あまり好きではありません。

例えば、年齢にもよりますが、ケンカも頭ごなしに止めないで少し見守ってみようという話になります。

うわー!ケンカ耐えられない、やめなさーい!と、とめていいと思うんです。

お母さんが、心に嘘をついてまですることではないと思うのです。

子ども達とそうしてつきあっていくうちに、

けんかもするけど、憎くてやってるわけじゃないんだなとか、

これは、ただの物の取り合いだけど、自分の尊厳を守ってるのかなとか、

子どもに任せたら、子ども達だけで解決したとか

なにかしら、気づきがあって前より少しゆったりと子ども達をみている自分がいた。

それでいいと思うんです。(これ、私のこと)

ぽっぽは、子ども達の試行錯誤がオーケーな場所。

そして、お母さん(保護者)達の試行錯誤もオーケーな場所。

みんなのお母さん(お父さん)になるということ

ぽっぽには、先生がいません。
お母さん達(保護者)がお当番制で子ども達をみます。

えっ、大丈夫?

大丈夫だと思うよ。

思うじゃだめです!

保育のプロの先輩が言ってました。
「自分の子は、違うんだよお、とほほ(涙)」
大丈夫、お母さん達はみんな悩んでいます。

そっちの大丈夫かいな!

月に一回のミーティングがあります。

そこでは、月の予定や、役割分担など決めます。

そこで不安、悩み、気づいたこと、嬉しかったこと、何でも分かち合いましょう。

保育中、困ったことがあったら?

「困った、どうしようか」とつぶやきましょう。
隣には、同じお当番の仲間がいます。

わからないことがあったら?

みんなで勉強しましょう。

子どもにとって

自分のことを愛してくれる存在、

認めてくれる存在、

かけがえがないと思ってくれる存在、

それがあるということは、生きていく大きな大きな力です。

そんな大人が一人でも多くいたら

子ども達は、しあわせだろうなあ。

ぽっぽでは、自分のお母さんと間違えてずっと他のお母さんと手をつないでいる子の光景をよくみます。

それが、またなんと可愛いんだよね。

保育料のこと

月1500円です。別途保険代がかかります。激安です。

でも、お金をかけなくても、仲間と時間と場があれば、豊かな子育てはできます。

と、思うよ。

だから、思うじゃだめなんだって。

いやいや、今ぽっぽは豊かです。

つながるということ

小さいときからずっと一緒に遊んだ友だちは特別。

ぽっぽは、異年齢の子が一緒に遊びます。

大きな集団の中で、仲よしさんが何人かできます。

でも、小さい集団は全員が友だちです。

子ども達はこのつながりから何を感じ取ってるのかな。

お母さん達(保護者)もつながります。

自主保育は大変だと思います。

でも、イヤだなあって思ったことないなあ。

みんなで発信しあって、みんなで分け合うと、大変なことも楽しくなってきちゃう。

ほんと、楽しいから。

自主保育をされている方がおっしゃっていました。

「ママ友というより、姉妹に近い関係かな。」

そして、ぽっぽは地域の人たちともつながります。

夏には、花輪川の浄化をされている市民団体のオイコスさんにお世話になりました。

畑の先生もいます。

子どもネットさんの企画にも参加させてもらいました。

元気子ども課のプレーパーク担当の方は、親切です。

野草の森を貸してくださっている地主さん、感謝です。

自主保育の先輩、稲毛のまつぼっくりさんとの交流もあります。

野遊びの先生もいます。

地域には子育ての先輩がたくさんいらっしゃいます。

まだまだこれからも

出会いの予感があります。

お母さん達でできないことは、みんなですればいいのです。

みんなでつながって、大きな家族のような場をこしらえるのです。

そこで、子ども達は安心して暮らせます。

uko

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過去の記事

こちらにも書いていますので、よかったら見てみて下さい♪

自主保育について

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以前の活動記事

9月・小麦粉絵の具など

8月・流しそうめん

8月・海

7月・花輪川/

7月のお誕生会

七夕

雨の日

流しそうめん

マザーグースさんとの交流会

お散歩

新川プレーパークで

子どもの森で

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